かあこが感じたこと、日々思うことなどつれづれに <2005年>


2005.12.14 ヒダノ講習 その2 楽しいお酒

11/26土 晴れ

宿へ戻ると気を使ってくれた女将さんが
夕食のお鍋とご飯を再セットしてくれていて
それぞれ買出しした飲み物で早速乾杯!
Oさんは家で煮た大根、ささきは漬物を持参
お泊りじゃない人も混ざってヒダノさんを囲んで喋る喋る
私は自分用にZIMAを持参したけど4本じゃ足りなかった・・・
道連の会議に出ていた北見のSくんもビール持参で戻って来て
大騒ぎ・・・太鼓のこと、ドラムの事、普段の活動のこと、
他のアーティストの話、テレビの話、昔話、おうちの話
ヒダノさんはいろんな地ものの焼酎を呑みながら
たくさんたくさん話してくれた

帰る組のドラマーTくんとYさん、追分のKくんが帰ってしまってから
私とれいかは一緒にお風呂へ
温泉の元が入っていて熱くてたっぷりのお湯が気持ち良かった
なんで一緒に入ったかというと、手首が痛くて自分で桶湯が掛けられなかったのだ・・・
お風呂でお湯と水の冷熱治療をしてちょっとだけ楽になった・・・
このとき既に12時頃かな

部屋に戻ると、鍋の具を食べたあとに作った大量の雑炊
コレをいただきながら更に飲む
こんなに誰が食べるのかと心配したけど、結局舐めたように綺麗になったんで驚いた

結局寝たのは3時過ぎ いや4時かな

やれ寒いとか暑いとか 明るいとか暗いとかそれぞれ布団に入ったら
コレが重い!昔の布団みたいにつぶされそうな重さ!
しかも手が痛いので寝返りの度に目が覚めて寝た気がしなかったのだった。

11/27日--朝

さてさて、民宿の朝御飯は待っていてくれないので
皆寝不足の顔で朝御飯、すでにれいかを先頭に女子はお風呂を済ませてきていた。
ぐうぐう寝ている別部屋のSくんを電話で起こし、下の食堂へ降りていく
ヒダノさんはなかなか降りてこなくて
誰か起こしに行く?電話する?えー!どうしよう!
などと皆で悩んでいたら、すがすがしい顔で『おはようございまーす』と降りて来た。
すでにお風呂も済ませたらしい。
いつの間に早起きになったんだろう!
と一同びっくり!

朝御飯は今はすっかり高級になってしまった『はたはた』
大きくてたまごがびっしり詰まった焼きはたはた
ぶちぶち噛んで食べる固い卵を、ちゃんと食べたのは
私とれいかだけだった・・・
美味しかったのになー 今の人は固いもの食べないんだねー
れいかは・・・何でも食べるねえ。さすが爆裂系野蛮人。
毎日ヒダノさんとご飯が食べられるなんてなんて幸せなんでしょうね
でも今日でお終い・・・しょぼん それからチェックアウトの10時まで、女子が顔を作り始めたので、
私はゆっくりお風呂に入って来た。
大きいお風呂は久しぶりなので嬉しい。
とにかくお風呂にいつでも何度でも入りたい私はこの民宿が気に入ってしまった。
24時間イツでもドウゾという感じで、いつ行っても熱いお湯が出る。
使用中プレートを出して貸切で入れるのでのびのびできる。
窓が素ガラスだけど外は海しか見えない。幸せ・・・
いつもスッピンな私はギリギリまでお風呂を堪能してチェックアウト。

ダルイよー 痛いよー といいながら、テンションを上げる
いよいよ 2日目の講習だ!

会場に到着したのはいいけれど、講習時間までまだ時間がある。
ヒダノさんは、昨日Tくんが殆どバラシて必要最小限残して持ち帰ったので、
スネアとバスドラとハイハットだけになったドラムセットで、Sくんにちょこっとセミナ-
右手と左手で全く違うリズムを繰り返すのが難しいけど楽しい

そんなこんなで昨日これなかったH太鼓さんや、S太鼓のAくんが到着。
初めての人も常連の人も、皆太鼓バカたち。
バチが一日目で完売してしまったので、ARAくんはお目当てのバチを後日送ってもらうことに。
皆、結構バチやグッズを楽しみにしている。
北海道には、気軽に行けていろいろグッズも手に入るような太鼓ショップが全然無い。
いつか自分が出来たら良いのだけど、まだまだ私は演奏がメインなので夢でしかない。

それからヒダノさんはまた宿に戻って(食堂もやっているので)
海の幸でランチタイム。

二日間参加する私とれいかと豊の小学生は既に手がぼろぼろになっている。
それでも普段ハードな練習をしているので 体力はある。
昨日よりも技がハードになっているので苦しいけど楽しくてしかたがない。
私の場合、ハードルは自分の手や腕だったりする。
今回背中や肩にダメージが無かったのがせめてもの救い。

また、後半はグループ分けをしてそれぞれの曲を練習。
ちょっと早めの夕食タイムをはさんで発表会。
常連さんを見ながら、上手くなったなぁと思ったり
背が伸びたなぁと感心したり、見ているだけで楽しい。
自分はといえば、肝心の最後の発表でフレーズを飛ばして大失敗。
ま。こんなもんでしょ。

自分が手伝うようになってから、この講習会は色んな意味を持つようになった。
はじめは、ただただヒダノさんを毎年北海道に呼びたかった。
いろいろ問題はあったけど、とにかく毎年やりたいと訴えて実現してきた。
今も、とても忙しいヒダノさんが、毎年講習をやっているのは
確かこの北海道のワークショップだけだ。
そこで人の和が広がり、大きな環になって私を囲んでいる。
ヒダノさんの講習会であり、私の講習会でもある。
毎年ドラマがあり、苦労と喜びがある。
そうしてそれがまた自分の太鼓に生かされるのだ。

ヒダノさんにありがとうと参加者の皆さんにありがとう。

2005ヒダノ修一スーパー太鼓ワークショップin北海道
今年も無事、終了。




2005.12.7 ヒダノ講習 その1 手首が腫れた

11/26土 晴れ

前日2:30まで起きて準備をした私はぼろくそで、8時半近くなってからやっと起き上がった。
ひと仕事片付けてから事務所の担当さんを地下鉄栄町駅で乗せて出発。
前夜太鼓を積んだので、DADANのれいかはワゴン車の後ろの太鼓の上に
荷物のように積まれているが、〇型の彼女はあまり気にしていない。
変な格好でくつろいでいる・・・
ヒダノさんは甘いものが大好きなので、六花亭に寄ってお土産を購入。
三人でキャーキャーとスィ〜ツに誘惑されながらなんとか脱出して海へ向かう。

会場のあるモウライは望来と書き、日本海沿いの小さな町だ
昨年まで厚田村だったのだが、今年10月に石狩市になった。
うちは石狩街道が近いので、30分位で着く
でも、お酒もないような気がして美味しい地物の焼酎を購入したり
何だカンダで、受付予定時間を若干すぎて 到着。

既に北見のSくんと追分のKくんが待っていて、太鼓の搬入を手伝ってもらう。
2人とも久しぶりに会ったのだけど、
太鼓の仲間はいつも、たまにしか会わないのにそんな気がしない。
皆家族みたいだ。

1日目の参加者は札幌・石狩・江別・千歳・追分・北見から約20名。
初級者クラスのはずなのに、殆どが中級・一部は上級者。
小学5年から50代まで。実にばらばら、様々な顔ぶれで楽しい。
豊太鼓からは、私とDADANのれいか、一軍の30代の女性と
昨年も参加した6年生の男子で4人だけ。

新千歳空港から真っ直ぐ到着のヒダノさん、今年はバチ・ビデオ・本のほか、
北海道初上陸のひだちゅーストラップ・NEXT GAMEのMD付楽譜を持ってきてくれた。
勿論買いましたよ!

そうこうしてるうちに地獄のストレッチから始まりました。
私は左股関節が全然動かないのでいつもついていけなくて
できるところだけ適当に参加している。
ヒダノさんは身長もデカイし、パーツも全部でかいのに、とにかく身体が柔らかい。
ぐにゃぐにゃ・・・ふにゃふにゃ・・・気持ち悪いくらいに柔らかい。
だからあんな演奏ができるんだろうなぁ。といつも思う。

それから軽く基本の練習からスタート。
軽く、といっても、私は『年に一度体力の限界に挑戦する日』と決めているので
不必要に爆裂して打っている。
でも、昨年まですぐにだるくなった肩や腕が全く痛くないことに気付き嬉しくなる。
無駄な力が入っていない証拠だから。

ヒダノさんが使いたいといっていたドラムを
普段はイカレドラマーのTくんに一式借りたのだが(立派なセットでしたよ)
ヒダノさんが叩き始めると嬉しくなって、ノリノリニコニコの音になってしまう
だって上手いし。下手なドラマーよりずっと上手い(当たり前だ)
(帰りがけ、Tくんはドラムセミナーもしてもらい、喜びつつ凹んでいた・・・)

休憩で会館のオジサンを発見。
此処のオジサンは本当に面白い。
なんていうか、あったかくてゆったりで、日に焼けた顔が優しい。
『何処でも使ったらいい』『何でも使ったらいい 』
『外で打ってもいいよ 』と、とにかく親切だ。
建物内も外靴でOKの会館なのに、私が裸足で廊下を歩いていたので
びっくりして、可哀相な子を見るように指を差された。

汗をかいたので、また何枚も持っているTシャツを買ってしまった。
私のTシャツは殆どヒダノさん関係のばかりだ。

打ったり喋ったりしているうちに、窓から見える空がみるみる夕焼け色になって
大好きな雲を眺めながら打てて幸せ!なんていっていたのに、
とうとう手首が痛くなってきた。
そういえば、最近ちゃんと太鼓打っていなかったかも。
豊太鼓に、幼児がたくさん入会したので、自分の練習しないうちに疲れて、サボっていたかも。

そんなこんなで早めの夕食タイム。

ヒダノさんと一緒にお泊り組は、当然ヒダノさんと一緒に宿で晩御飯。わーい。
海の幸マンサイのお鍋とアブラののったツボダイかなんかの焼き物、
海の幸サラダ、味の染みた煮付け などなど・・・
ヒダノさんは絶対お肉を食べないので、いつもどきどきするんだけど、
ここは本当に素晴らしいとしか言い様の無い食事。

ヒダノさんもビール呑みたいなあ・・・なんて言っていた。
皆満腹、幸せで眠くなる。

ここでくつろぐヒマもなく、会場へ戻る一同。
後ろ髪ひかれまくり・・・気持ちは早くも夜の宴会へ・・・

さて気を取り直して後半戦、だんだんレベルアップする内容、楽しくなる皆。
でも手首が痛くて打ちにくくなっている。
と同時に手の平が痛くてバチを握っていられなくなってきた。
手がパンパンに腫れて、グーが出来ないくらい痛いのだ・・・情けないなー 最後は恒例のグループ分けしての演奏会。
コレが昔はイヤだったなあ。
緊張するし、何故かいつも教えたりする役になっちゃうから、いつもと同じじゃん!と思って。
でも最近は楽しくて仕方ない。歳をとったんだろうか??やだやだ。
最後の最後に、久々にマメがむけて、程よく疲れて、美味しいお酒が飲めそうだ。


つづく

from かあこ



2005.11.6

次に載せるのは、江別市見晴台の自治会便り(多分11月号か12月号)に載ることになった原稿です。
一足早くこっそり読んでくださいね!

子どもたちの笑顔

江別の実力派太鼓チームとして全道はもちろん、全国でも名を知られるようになった豊太鼓は今年で17年になった。
その間に何人の子どもたちが通り過ぎていったのだろう。
常時40名前後の会員のうち、殆どが小学・中学・高校生だ。
今は幼児から大人まで入り乱れて週3回の練習をしている。
豊太鼓の指導者はいまどき珍しいのかも知れないが、悪い事をすれば叱り、人の気持ちがわからない子には説教をする。
普段から挨拶の仕方ひとつにでも大声で注意をするので、全く内情を知らない人に「指導者が厳しくて泣いて帰ってくるので親が辞めさせるらしい」などとありがたくない噂をされたりもするが致し方ない。
子どもだからこそ本気で接していないと伝えられない事がたくさんあるのだ。
その代わりと言ってはなんだが、楽しい事も嬉しい事もくだらない事も素直に伝え合って信頼し合っている。

何度も怒られ人知れず泣いて、それでも地道に頑張ってきた子の自信がついた時に見せる笑顔や、大きい子が小さい子に一生懸命教えている姿。
大きな舞台で団結し、やり遂げた時の満足した笑顔、あるいは悔しい泣き顔。
それらを見ていると、太鼓の技術だけでなく、ここでの経験全てが子どもたち自身の成長の糧になっていくのだと信じられる。
子どもたちの純真な心が、太鼓という楽器を通して、見る人の心を打つのだ。
今日もまた自治会館からドンドコドンドコ太鼓の音と子どもたちの笑い声が聞こえている・・・。

from かあこ



2005.10.28

今朝
起きてから珈琲を入れた 自分のために
前は日課だったのに 一日が始まらないと思っていたのに
今日は本当に久しぶりに それをした

本当はしなくても困らないことを
絶対しないと駄目だと思っていたり

本当はなくても困らないものを
なければ生きていけないと信じていたり

人は案外 そういうもので出来ているのかも

なんて思っていたら 遅刻しそうになったから
今日も自転車で出かけよぅ

ほら あの道を通らなくても
最短の道じゃなくても
ちいとも困らなかったよ

人は案外 そんな感じで生きていけるのかも


from かあこ



2005.10.2

今年も近所の中学校の文化祭で演奏をした
毎年行っているけど 毎年違う生徒たち(当たり前だ)
何年か前は派手な子が多くて 昨年まではステージから見ても
おやおや?って景色だったのだが
今年はなんだか普通の子ばかりでびっくりした
ちゃんとイスに座ってみていたのも驚き!
(昨年まではステージのすぐそばで地べたに寝転がってる子もいた!)


ここはそういう理由もあってか
今年からは 文化祭なのに卒業生すら校内に入れない
在校生の家族はチケットかなにかで入れるらしいが
昔のように卒業生が懐かしいといって気軽に遊びにはこれなくなったのだ

何年も前に 中庭に太鼓をセッティングしてから
お昼ご飯を食べに行っている間に にわか雨が降ってしまい
慌てふためいて駆けつけると すでにカバーがかかっていた事があった
派手なシャツの胸をはだけて ジャラジャラ金ぴかのネックレスやら腕輪やらをした見慣れない兄ちゃんが
濡れるのも気にしないで手際よく作業をしていた
彼は 当時二十歳位だったと思うが、この中学校の卒業生で、外では悪ガキでロクでもないんだけど
性格は良くて、仲良く太鼓もやっていたのに遠くの高校へ行って辞めちゃった男子だった
八重歯をニッと出して『お久しぶりです!』って頭を下げるのを見て胸が熱くなった記憶がある

今日は卒業生の太鼓の子と他の家族で来ていた子が
『おぅ!久しぶりぃ!』『元気か?今何やってんのぉ?』
なんて立ち話をしたり センセイに挨拶をしたり・・・
こういうのってすっごく嬉しくって あとで思い出したり
そこから改めて付き合いが始まったりもするんだろうな

いろいろ難しい問題が有るのだろうけど
何でもかんでも排他的でいいのだろうか・・・
学校って昔から事なかれ主義なのはわかっているけど
卒業してからも子どもたちは成長していくのだという事を
忘れているような気がする

学校の中だけでなく そこから繋がる様々な事を糧にして
精神は育っていくのになぁ

実にもったいない・・・

・・・などと悲しい気分で帰った


from かあこ



2005.08.10

暑い暑いときくのだが、確かにときおり汗がたらりんとうなじを流れたりもして
外に出た瞬間に『あぢー!』とつぶやいたりはするのだが
なんだかそんなに暑く感じない
未だに窓を閉めて寝ているけど 汗だくになることもなくぐぅぐぅ寝ている
たまに暑いと思って開けていても 寝ているうちに寒くなって閉める
内地の方のために言うが 北海道の一般家庭にはまだ殆どエアコンがついてない
うちにはエアコンどころか扇風機さえない(狭いから)
多分有っても使わないだろう・・・北海道人は人工の風に弱いのだ

それにしても
今年あの暑い『愛・地球博』のテントで倒れてからというもの
北海道なんて全然暑くないじゃあん!という感じなのだ
サウナにいて出口がないみたいだったあの日の感覚が私の身体に深く刻まれたのだろう
そんな名古屋の夏はさぞかし辛いだろうなぁ
でもあそこは大都市で平気で暮らしている人がたくさん居るんだから人間って凄い・・・
思えばあの空気の悪い いつも臭い 変な熱さ(暑さとも違う)の東京にだって
当たり前にいっぱい暮らしているんだものね
ただエアコン使いすぎはどうかと思うよ
空港は寒い電車は寒い建物中は寒いのに外は灼熱だなんて
その温度差に順応できるそれこそが凄いと思うのは私だけかなあ

・・・という感じで なんか夏を実感しないままお盆になってしまった
今年も昨年みたいに9月も暑いのかな
私は寒いのが嫌いなのでそれも良し
大好きな果物野菜がどんどん美味しくなる季節
そして夏のお祭りから秋のお祭りに・・・太鼓の季節はまだまだ続く


from かあこ



2005.07.27

豊太鼓に彼が帰ってきた
彼といっても私の彼氏じゃあなくて
豊のムードメーカーで一番元気でぴちぴちの、宮はもちろん大締めでも小締めでもきっちり観せれる
手塩にかけて育てた高校生のT
ジュニアコンクールで皆を引っ張ってまとめて特別賞をもたらした彼だ
高校に入ってから野球が忙しくて休んでいた
神様は時々2物も3物も与えるもので、彼は野球でも大事な人材でキャプテンをしていた
確か下の句かるたでもかなりの腕前、いろんな大会で活躍している

指導者の立場としては育成うんぬんになってしまうけど、学業やら部活やらが優先なのは仕方ないと思っている
本人の、または親の優先順位で太鼓での活動が決まる
ただ個人的には本当に悲しかった
何より私が彼と一緒に打ちたかった
同じくそう思っている旧くからいる若い打ち手がそろって休みがちになっていった
それは私が熱心に育てた、数少ない大締めのパートを打てる子ばかり
又は曲の中心になる花形のパートを打てる子ばかり
だから私や代表、そしてれいかがそれらを全部まかなわなくてはいけなかった
休み休みでも来る子はくる、本番にも時々出る、でもなんとなく生気が足りない

一度何年も休んで帰ってくる子はあまりいない
時間の使い方が定着すると、いろいろなことが面倒になるのだろう
でも!彼は帰ってきた・・・
3年生になって最後の大会が終わってすぐに、彼は帰ってきてくれた
ブランクを感じさせないでっかいオーラを背負って戻ってきた
それを聞いたほかの若手も徐々に休まなくなってきた
先日は、気が付くと彼ら全員が早い時間からそろっていて涙が出そうになった
休んでいる間に15名ほどの新人が入ってきたのだけど
彼の打つ姿を一度見るとすぐに一目置くようになった
彼の人柄もあるのだが、小さい子も大きい子もなついている
もちろん大人も笑顔が増えてきた
今まで目の届かなかった部分もサポートしてくれるので練習も効率がいい
彼の言う事は大きい子も素直に聞いてくれる
何より全員の顔が生き生きとしている
すっかりお蔵入りしていた難しい曲を皆で打った後、汗と涙で顔がぐしゃぐしゃになったのをなんとか誤魔化した

Tが帰ってきただけで なんだか安心して肩の荷がおりた
Tが帰ってきただけで 昔の豊太鼓が帰ってきた
2年間 私が気張って踏ん張ってなんとか守ってきた豊
でも君たちにしか作れない豊がこれなんだよ
私が何年もかけて育ててきた君たちがこれからの豊を育てるんだ

今年は新人ばかりで試練の年、と思っていたけど大丈夫
全盛期のあの頃と同じ
・・・いや、心一つになった最高の豊の夏が 今始まった


from かあこ



2005.07.03 愛・地球博

2005年日本国際博覧会 政府出展事業
日本館イベント にっぽん華座スペシャル催事
『風流大打楽』  2005.6.30-2005.7.1

楽しみだった万博
だけど、行きも帰りも、きちきちな時間割でバスやタクシーで送迎され
全然他のところをうろつく時間はなかった・・・
ミッキー・・・マウスではなくて ミッキー吉野さんという
かの有名なガンダーラや銀河鉄道999でおなじみのゴダイゴのキーボードの彼とその奥さんや
ジェニファー・バトンというジェフ・ベックやマイケル・ジャクソン ナタリー・コールなどのツアーや
アルバムに参加しているギタリスト
そして団体参加の方もみーんな一緒の貸切バスに乗って移動するのだ
ホテルは名古屋市内の劇団四季の劇場向かいで温泉のあるクラウンホテル
部屋は狭いし収納は無いし大きな荷物を収めるのに苦労した
温泉は小さな銭湯って感じで何も無かったけど お湯は気持ちよかった

滞在中私が一人で出かけたのは近くのコンビニくらい(しかも転んで膝をすりむいた)

そうそう6/29にホテルに着いてすぐ
同じ太鼓ユニットの鹿児島から来た橋本真由美さんと彼女の地元チームの仲間3人
千葉から来た永山かよこさんと 女ばかり6人で 昭和食堂という居酒屋さんで食事をした
よーっく焼けてる手羽先が美味しくてたくさん食べた
腹ペコだったけど他のは味が濃くて辛くて、おにぎりとサラダを頂いた
翌日を考えてお酒は飲まなかったのだった
ホテルに帰ってから 先に部屋で休んでいた秋田から来た大沢しのぶさんにも声をかけ
4人でロビーに集まり衣装を確認したり曲を手合わせで練習したりしてから解散した

6/30は朝からとても暑くて頭ボーッとした感じで会場に到着
着いて初めて、しかも控え室に書いてあったため
私たちが『華つづみ』というユニット名だと知った
その華つづみだけのリハーサルがすぐ始まったのだが
特設テントの中がサウナのように暑い!というか熱い!
そんな中ドカドカと大太鼓を打ったら なんだか吐き気がしてきた
頭もボーッとしてるだけじゃなくフラフラしてきた
でも続けて宮太鼓の曲が始まってしまい 眼の前のヒダノさんに緊張しながら気力だけで打つ!
何がなんだかわからないけど意識が薄くなってきて思うように打てないままやっと終わったのに
もう一回といわれる・・・しかし根性でなんとかこなす

ふらふらしながら控え室まで戻ると動けなくなってしまった
鏡を見たら顔が赤を通り越して黒くなっている・・・
ヤバイと思い服を緩めて氷をもらって首や頭を冷やす
このときまでは休めば治りそうな気分だった・・・
・・・がしかし 水分補給をしようと手元にあったミネラルウォーターを飲んだとたんに足がつって足がつって
どうにも痛くてたまらない・・・それが熱痙攣ってやつだった・・・
もうろうとしながら痛みに耐えていたら、スタッフの青年が心配して呼んでくれた看護士の女性が現れた
それからのことはあまり覚えていないけど
橋本さんがついてきてくれて、いろんな質問に代りに答えてくれてタンカで救護室に運ばれ
点滴をしながら救急車に移されて万博会場内をピーポーパーポーと診療所へ収容されたのだった
私はもともとしょっぱい物も苦手で味の濃いものも食べない
でも名古屋の味が濃いのは身体が要るからなのね
確か 暑さで汗がドンドン出てしまい そこへ水を飲んだので
血液が薄まって塩分が足りなくなり PHバランスが崩れた
・・・というようなことを説明されたようだ

まもなく熱痙攣が治まって、からだ中氷漬けにされた私はとうとう体温が35.1まで下がって意識もはっきりしてきた
少しうとうとして ふと時計を見ると 通しリハはとっくに終わって本番の時間が迫っている
イライラしながら携帯を弄ってみる・・・メールがたくさんきている・・・皆の声が背中を押す
頑張らなくちゃ女が廃るよね!
点滴がなかなか終わらないので、かってにぽたぽたではなくジャージャーと最大に早くしてみる
そうするうちに 制作スタッフの前川さんというのりピー似の女性がきてくれて
『佐々木さんは本日演奏をされる大事な方なので戻っていただきたいのですがどうですか?』
と話してくれて感動・・・大事な私なんだ・・・
お医者さんは今日は太鼓は無理といってたけど必死に頼んでOKをもらう

ギリギリ控え室に戻ったら他のメンバーが歓声をあげて迎えてくれた・・・それがものすごく意外で嬉しかった
制作スタッフの背の高い男性が『すぐ運べるように袖でスタンバってるから』と言ってくれて、本当に心強かった
身体は今だから言うけど本当は大丈夫なんかじゃなかった
全身がぎしぎししていた 頭は相変わらずもたつく
でも演奏をしない私はかあこじゃないよね
きっと皆も自分だったら打つと思う

・・・という訳で 皆に支えられて
無事に一回目のステージをこなす!
初っ端に大太鼓の華つづみと太鼓セットのヒダノさん5人での『風流』を演奏
高い山台の上に4尺前後の大太鼓がずらりと並んでゴージャスこの上ない
橋本真由美さんはOTAIKO響で準優勝 東京国際和太鼓コンテストでは
あのプロの佐藤健作さんをおさえて最優秀賞を受賞している大太鼓のスペシャリストだ
大沢しのぶさんも大太鼓ではその名を知らない人はいないだろう有名な奏者だ
昨年私が桶隊で参加した日本の太鼓ではプロに混ざって演奏をし
大太鼓では堂々とソロでオリジナル曲を披露しているつわものだ
永山かよこさんは全国で唯一ヒダノさんが創設時から指導をし
楽曲を提供している女性だけの太鼓チームの奏者だ
彼女は日本の太鼓で一緒に桶隊をしたので仲良しだ
これに私を加えた4人で打つ大音量重低音でソロ回しもあるアップテンポな曲に皆唖然としていたようだ

何曲か挟んで華つづみ4人だけで今度は大き目の宮太鼓で『ニライカナイの幻』という曲を打つ
これは途中で2人のソロが入る
まずは大沢しのぶさんが細かくて手数の多い変則的なソロを打つ
空中をバチで切り込んだりバチを回したり本当に器用で飽きない
そして次に私のドッカンドッカンジャンプするソロ
器用ではないので細かいことはやらない
ただ長身を生かし爆音で踊るように打つ これが私
最後は4人のユニゾンでだんだん早くなって盛り上がって拍手をもらった

ただフィナーレの全員登場メンバー紹介のシーンはヒダノさんにストップをかけられ断念・・・
担ぎ桶で華やかに登場の予定だったのに・・・ちょっと悲しかった
担ぎ桶をやらない橋本さんがヒダノさんの大太鼓をドカンドカン打つのを袖から見ていたら
小さい身体がでっかく見える力強いフォームで 打っている時の顔がまた綺麗で見とれてしまった

お客さんは整理券をGETして椅子に座った人が500人と
本番だけテントの壁が開放されるので その向こうに立ち見のお客さんがわんさか!
炎天下の中なのに誰も動かないで観てくれた!
なんと北海道から3人のお客さん・・・
この日のこのヒダノさんを観るためにわざわざ来たのだった・・・すごい!すごすぎる!
いつもお世話になっているKさん達・・・
心配して楽屋まできてくれた・・・ありがとうございます
他のメンバーがいたので我慢したけど
本当は泣きそうだったよ・・・

頭に氷を乗せたまま念のため殆どの時間横になりながら休み
2回目のステージもこなす
1回目よりも身体が楽になり声も出て動きも大きくなったと思う
今度はフィナーレもでて名前も紹介してもらえた 良かった
打ちながら今日は早く寝なくちゃと思う・・・

そうして迎えた2日目
リハは急きょ無くなって、本番ギリギリゆっくり会場いり
朝御飯もちゃんと食べたしドリンクも買ってきた
メンバーも心配して『塩分』の多いおやつを持ち込んでくれた
そして3回目の本番は 私としては一番良い出来だった
皆も時間と共に仲良くなっていたせいも有ると思う
橋本さんと大沢さんは本当は人見知りで馴染むのに時間がかかるという

おまけにハプニングもあって、なんとサインを書かなくてはいけなくなったのだ
DADANの時はたまに書くけど個人では書かない
仕方がないのでDADANのサインを書いた

途中で大沢さんが呼びに来たので表へ出ると
YAMAHAミュージックトレーディングの山内さんが来てくれていた
大沢さんは東北で私と同じく講師を請け負っている仲間なのだ
山内さんに会ったのは昨年の夏以来だった 嬉しかった
太鼓を打っているところを観てもらえるのは本当に嬉しい

そうして最後のステージ・・・
ばっちり決めたかったけど風流の途中で異変が・・・
ソロに横打ちを入れていたのだけど、その少し前に足が
いつものように変なところに入っているような感触がしたのだ
なので仕方なく振り向くのをやめて何とかごまかしたのだった
自分だけでフツフツとお腹に不燃物を抱えてしまったので
ニライカナイの幻はもうやけくそのようにジャンプして発散!
そうして私の愛知万博は幕を閉じた・・・

メールで応援してくれた方
皆の言葉や皆の気持ちがこんなに自分に大きく暖かく染みるなんて思わなかった
そのくらい ベッドで泣きながら情けなくのびてる時にありがたかったんです
本当にありがとうございました

最後の夜は近くの永山さんだけが帰ってしまったけど
橋本さんと大沢さんと3人で また昭和食堂にて打ち上げ
今度はひつまぶしも食べてみたら美味しくてビックリ
いろいろしてみたけど そのまま食べるのが一番美味しかった
太鼓の話 地元の話 尽きない話であっという間の夜だった

ヒダノさんは次の日韓国での演奏があるため即現地解散となったのだけど
それはそれでさばさばとして気持ちの良い最後でもあった

あと35年後に万博が日本で開かれる可能性は低いらしい
だとすれば生きているうちに万博で太鼓を打てるのはこれが最後のチャンスだったんだろう
いつも尊敬し絶対の信頼をささげるヒダノ修一さんに、今回も心から感謝している


from かあこ



2005.06.02 北海道に思いをはせ

少し、北海道の自然イメージについて、遠くの太鼓を通じた友人と話す事があり、
自分でも急に自覚したので書き残しておこうと思います。

北海道は本当に広くて、今年はヒダノさんのツアーで北見・釧路と移動したり、
函館にミニ旅行をしましたが、ドコに向かっても片道5〜6時間運転しなくてはならず大変でした。
私の場合、大抵が一人で移動するのだけど、もともと食べる事にあまり執着がないし、
トイレが遠いこともあって、飲み物さえあればほとんど休憩ナシで目的地に向かいます。
夜中などは本当に気が遠くなるんですよ。釧路の帰りは本気で泣きながら走りました。
ですが、本当の峠の山道になるとその景色の神々しさに心奪われ、
眠いとか辛いとかそういう一切の感情がかき消されてしまうのです。
頭のてっぺんから誰かにつまみあげられるような不思議な感じです。
そして本当はそこに自動車などで踏み込んではいけないのだという思いが、いつも湧き起こるのです。

寒いのが大嫌いだし、雪は私の足には良くないことばかりだし、
特にこちらに居なくてはならない理由も無いというのに、
いつまでも北海道に住んでいるのは、そういう怖いくらいの自然に心が触れる瞬間があって、
見上げればいつでも山と空の境目が心を開放してくれる、
それが私の心を育み、私の太鼓を創り上げていると信じているからなのでしょう。
おまけにまだ北海道の中でも良く知らない土地、行ったことすらない土地がたくさんあります。
飛行機に乗って数時間で行く遠いところよりも、何時間も燃料の心配をしながら運転して行く
北海道内の方がよくわからないなんて、なんて素敵な事なんでしょう。

空と風と雲と月が大好きです。
いつか私の太鼓を聴いてそれをイメージしてもらえるように、精進したいと思います。


from かあこ



2005.05.29 サウナ

今日もサウナへ行ってきた
本当にサウナが好きなの 大大大好き!
何も予定が無い日に 一人で行くと大体4時間くらいは居る
何をしてるのかというと とにかく汗が出なくなるまでサウナと水風呂を繰り返している
調子が悪い時は8回くらい入らないと 出きらない
元気な時なら4回目でもう良いかなってこともある
後は 露天があれば風に吹かれて長々入浴ったりも好き
本当の仲良しさんで無ければ一緒にお風呂は行けない

汗の出方とストレッチで自分の様子が大まかにわかるんだけど
今日は使いすぎの肩の調子が心配だったのに
上半身は割とダメージがなくて 膝から下の足に疲れが溜まっていた

不安定な足場のステージで打つと あとでこうやってダメージが出る
すぐに気がついてケアすればよいのだけど
床が少しずれた程度で 自分に影響あるとは思わずうっかりしてしまった
同じに打っているので れいかももちろんダメージあるはずなんだが
しょっちゅう ふとももがありえない痛い 足首がはんぱない痛い 背中がわや痛い
あっちが痛い こっちが痛い と言っているので どれが太鼓のセイなのかよくわからない
どうやって治しているのかも分からない・・・多分若いので治癒力が違うのだろう

・・・ってことで 私は『なんか調子悪い』時にはサウナで自分の身体と向き合ってみる

良いサウナを求めていろんなお風呂に行くけど 今日は近くの大きな健康センターにした
何といっても常連客が居ないので サウナのマナーが良いのが助かる
ヒドイところになるとサウナの戸を開けっ放していて 熱いから開けてんの!と
堂々と言い放ち 閉めてくださいませんか?というと チッと舌をならすオバサンが居たりする
そんなサウナだと身体も癒されないし 返ってストレスが溜まる
でも健康センターは入浴料が高いもので毎回は無理・・・
基本的に乾式の熱いサウナが好きなんだけど 今まで一番良かったのはJRタワーのスパ
熱くて熱くてワクワクした! 子どもはひとりも居ないし本当にくつろげる
でもここもちょこっと高め・・・
・・・なので日々また良いサウナを求めてあちこち行ってみるのであった

サウナ・・・いいですよ!


from かあこ



2005.05.22 YAMAHAにて

YAMAHAのお仕事が やっと来たので頑張ってきましたぁ
相手は幼稚園の教諭47名 若い女性ばかり・・・

初めにパーカッションの講習が有って
持ち時間が短かったので さくさくと説明をし さくさくと初め
さくさくとデモ演奏
あまりに静かな園内だったのでヤカマシイかなと思い
各太鼓でそれぞれ簡単なリズムで分かりやすく小音量気味に披露
    で       あっという間に終了

今日のメインはドラムサークル
これがとっても楽しかったぁ!
またやりたい!
なんと言うかヒダノさんの講習会の時に感じるなにかと
共通の感触があって 是非またやって
できれば太鼓でやって その感触をつかめたらいいなあと思う

着いてお互い驚いたのだが
パーカッションの講師で来ていたのが
以前から知り合いの黒田氏だった!
彼は太鼓コンクールの課題曲を作ったり、審査員もする方で
いつも何かと偶然に縁のある方なので
きっと巡りあわせなのだろう・・・と勝手に思う

最後にアンケートを集めたのだが
『音が大きくてビックリしました!』とかかれていた・・案の定だ
太鼓打ちはとにかくどんな時でも全力でぶちかますのが好きだけど
時と場合によるっちゅうことですね・・・
それにしても嬉しい事に褒められ過ぎじゃん!ってくらい好評だった!
これを機にたくさんお仕事が来るといいのだけど・・・

実は太鼓の某連盟各支部で教師向けの講習会が各地で始まっている
もちろん費用も高いし丸二日かけて級をとる訳だ
私としては複雑です・・・先生たちは免許が欲しいわけではなくて
太鼓の基本的なこと、教えるコツを短時間でつかみたいのだろう
もちろんお金をかけずに。
連盟の事業は大切だけど、ちょっと違うと思う今日この頃・・・

from かあこ



2005.05.11 青森 その3

一晩しか居れないのでばたばたと通り過ぎた一日
ようやく初心者マークの姉の車で買出しに出かけ一息つく
森田村は私の記憶では一面田んぼのなんもない村だったのに
デンコードーやらジャスコが有ってビックリ
ずっと買おう買おうと思って買っていなかった携帯の車用充電器を買った
青森で買った充電器だ! なんだか嬉しい

夜 ずっと長ーいこと逢う事が許されなかった姉と色々な話をする
この歳になってやっと許された再会も
私たちの心の傷は深すぎて癒しきれないのだろうけど
これからは またいつでも逢えるという喜び
私には姉が居るのだと大声でいえる喜びは今回の青森旅行の一番のお土産だ

そうしてなんだか遠のいていた親戚が近しくなったのが本当に嬉しい
やはりどんな関係の相手でも 会って話す事が大切と心から思う
ここを読んでくれてる皆さんも
もし大切な人が居るなら迷わず会って会って会って下さい

次の朝は雨で綺麗な岩木山は見えなかったけど
冷たくはない雨で私の小さい車は散った桜の花びらでコーティング
北海道まで連れて行きたい遠山の金さん模様チョロQ〜
・・・と思いつつ一日一本しかないフェリーに乗るため、さっさか青森駅へ
ちょっと心配な免許取り立ての姉の誘導・・・というか
新車のナビの誘導?で迷うことなく到着

帰りも同じ『びなす』・・・センスないネーミングだ・・・というフェリー
フェリー乗り場まできていてくれた『ちいねえちゃん』と姪と姉とで
ランチを急いで流し込み乗り場へ
寒い寒い乗船場に人が歩いているので見ると『大きい姉ちゃん』だった!
わざわざ会議のあとに駆けつけてくれたんだね
皆 いい人 皆 家族 皆暖かーい


おまけ

帰りのフェリーがスゴーク揺れた!
・・・で そんな時に風呂に入る人が居るわけが無く
女風呂が貸切!
金魚バチの魚みたいにきゃーっ きゃーっ て言いながら
波にもまれて遊びました:楽しかった!


from かあこ



2005.05.10 青森 その2

積もる話も出来ないままバタバタと
今度は私が小さい頃育った五所川原の伯母の家へ
地図がない私のために大きいねえちゃんが爆走して誘導(笑)
カドを曲がったとたんに ここに七面鳥がいて怖かった事を思い出す
家の前の小川に落っこちた事も・・・
相当昔なのに・・・記憶って不思議
そうして 歳をとったとはいえ、全然変わらない懐かしい顔を見てほっとする
駆けつけてくれた従姉妹の『ちぃねえちゃん』に
犬が怖くて毎日泣いて帰ってくるちいこい私の話をきいて笑う
初めはソファの後ろやら隅っこに隠れて出てこなかったらしい
今でもなぜか隅っこや物陰が落ち着くのはそのせいか

それから伯母が父と似ていてビックリ
姉弟だから当たり前だけど・・・仕草や話し方までとても似ている
伯父も記憶の中のふさふさ眉毛が健在で安心
ここで初めて津軽弁に触れた
今は若い人は標準語を話すらしいし、お年寄りもアクセントや語尾は津軽弁だけど
標準語に近いみたいで私でも聞き取れる

懐かしい『おがっちゃ』と『ちぃねえちゃん』と『大きいねえちゃん』と
ちいさい子どもに戻って近くのホテルのランチをご馳走になる
町並みは昔とは全然違うようだったけど
車で走っているとなんとなくこっちがあっちと思い出して不思議な感覚

今度はちぃねえちゃんが誘導してくれて森田村中田に向かう
ここに生き別れた姉がいる
多分ゆっくりと話すのは初めてだ
84歳の『中田の父さん』はほとんど津軽弁で話す
連れ添った母さんも津軽弁 お酒が進むと解読不能に・・・
それにしても元気だ 自分の足で歩き頭もしゃんとしている
皆が元気で居るうちに来れて良かった

つづく

from かあこ



2005.05.09 青森 その1

青森へ行ってきた
1日目は室蘭まで峠を越えて走り、『びなす』というフェリーに乗り込む
寝るには寒いくらいの船内だったので毛布を借りて包まる
貸し毛布が300円だったので 今度は毛布は持参しよう
海を渡るというのに 地図も持たずに近所に買い物に行くみたいに
急いでだーっと出てきたのでいろいろなものが準備不足
船内のお風呂が出港してから30分しかやってなかったので諦めて
ビールを飲んだら耳栓をして横になる
とにかく連日太鼓で出かけていたのでくたびれていて
あっという間に朝になる

6:25に青森に着岸
船底から走り出ると目の前の山々のなんと綺麗な事!
北海道にはない青々した山すその広がりはもとより
遠くの山の美しさ
早起きして迎えにきてくれた市内に住む従姉妹の『大きいねえちゃん』家で
お風呂と朝食をいただく
大きいお風呂も手作りのご飯も久しぶりだったので嬉しかった


つづく

from かあこ



2005.04.30 余りに忙しくて全然書けなかった・・・雑記

このG.W.に豊太鼓でデビューする子がたくさん居る
今日ははじめて衣装合わせ・・・皆可愛い!
ワクワクするよね どきどきするよね
私も一緒にドキドキするんだよね
中堅どころが昨年どっさり就職や進学で辞めてしまったから
今年はなんだか雰囲気も違って初々しい豊太鼓
変わらないのは私と太鼓
どんな時もどんな仲間でも私と太鼓は変わらない

DADANのプロフィールもそろそろ書き換えなければいけない
というのも 帰ってくるといったのりこが さっぱり帰ってこないから
DADANのこれからをきちんと考えるには
ちゃんと人数を確定しないとね
これからは二人のDADANで二人でしか出来ないものを作り上げていこうと思う
思えば小学生だったれいかが高校生になったのだから
何かが変わっていっても仕方ないのだろう
世代の違う二人が全く違う感性でぶつかりあう太鼓は
きっと新しい音を作ってくれるに違いない

from かあこ



2005.02.22 REMOと雪

今日は幼稚園で演奏をした
当然のことだけど、普段158名の4-5歳児集団と遭遇しないので本気で驚いた
ずーっとあのテンションで ずーっとあの大音響で ずーっとあのスピードで走りつづける生き物が居たのだなあ・・・
太鼓が鳴るとピタッ!とびっくりした猫みたいに固まって316個のつぶらな瞳がきらきら光るんですよね
もう可愛くってたまりませんね
ちょっとした演奏のあと 全員に太鼓を打ってみてもらったのだけど
REMOの太鼓でなければ心配でドキドキものだったなあ
子供にとっては胴もフチも太鼓なので色んなところを叩きまくるので・・・汗
REMO・・・ほしいですね 使えば使うほどほしいですね
この雪のじめじめの中でも全く平気・・・雑巾で拭いたらぴかぴかです!
搬入搬出でこんなに気を使わないだけでもかなりのストレス軽減ですよ!

雪といえば 今年札幌東区はありえない量の雪降りましたね
車道と歩道の間の雪壁の高さが3mくらいのところもあって、まるで迷路の中を歩いてるみたいだったり、片側2車線の道路が一方通行みたいに譲り合わないと走れないくらい狭くなってたり。
太鼓でへとへとのあとの雪はねはストレッチ通り越して拷問ですわ・・・
まだまだ吹雪くんだとか・・・沖縄は桜咲いたというのにね
それでも真っ白な雪壁の中を歩きながら、綺麗だなあって空を見上げているのは、本当に北海道が好きだからなんだろう・・・

from かあこ







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